├─≠ョ─ヵラス 赤坂概説
広場の中央にやぐらを立て、やぐらの上で音頭とりが音頭を歌い、参加者はその周囲を回りながら音頭にあわせて踊る形式が一般的である[1]。念仏踊りが起源といわれる。
俳句では秋の季語である。(夏の季語という誤解があるが、暦の上では既に立秋を過ぎてから行われるものであり、「夏」ではなく「秋」である。)夏休みの間の大きなイベントの一つである。かつては夜通し行われることが多かったが、近年は深夜まで行われることは少なくなっている。
盆踊りの伴奏音楽としては多く音頭が奏される。昔ながらの、生太鼓、生三味線、生音頭取りで踊るところもある。三味線に代わり、エレキベースやリズムボックスを使用することもある。近年は音頭とりや囃し方が少なくなったため、録音された音頭を電気的に再生しておこなうことが多くなっている。地方によって独特の音頭と踊り方がある。また関東~近畿の一部地域によっては、開催時期により「彼岸踊り」と呼称することもある。彼岸の約10日前~彼岸までは、「彼岸踊り」と呼びその他の時期は夏祭りまたは秋祭りとしての名称が多い。従来は彼岸踊りの名称は使われていなかったが、彼岸時期の開催を冗談として「彼岸踊り」と言ったことで、定着していったとの通説があり、発祥地としては、大阪北摂または東京東部とも言われているが、明確な場所は不明である。
歴史的には村落社会において娯楽と村の結束を強める機能的役割を果たした。そのため、各地にご当地音頭も多く存在し、自治体や商工会など作成したオリジナルの地域的音頭も珍しくない。明治以前はこの行事は歌垣などの風習に結びついていた。
^ 稀に異なる様式の場合も存在する。たとえば福島県三春町では、舞台形式の台が作られ参加者はその一方正面で踊るという特異な配置が有名。
沖縄のエイサーも盆踊りの一つであるといわれる。
詳細は「エイサー」を参照
袋中が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、念仏が広まった。当時は現代のエイサーと形式が異なり、門付歌と念仏歌だけで踊っていた。明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間に太鼓踊りのエイサーが普及していった。町を廻り、場所により京太郎(チョンダラー)という道化がつく。
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